「わたしのドンキホーテ的人生」

アクセスカウンタ

help リーダーに追加 RSS 民主党ヒラリー・クンリントン,来年11月の大統領選挙に勝てるか

<<   作成日時 : 2007/11/12 23:40   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 
画像
  ビル・クリントンの大統領選挙応援中の写真


画像
  2006年当時





                               2007年11月11日 持田直武



民主党は、クリントン上院議員が女性として初めて党候補の指名獲得が確実。共和党も、ジュリアーニ前ニューヨーク市長が弱点だった保守派の一部を取り込み、トップの座を維持。民主党は女性候補、共和党は妊娠中絶を容認する穏健派候補がリードする異例の展開になった。背景には、変化を求める有権者の期待がある。本選挙で、両候補が対決すれば、互角の戦いになるとの見方が強い。


-----------------------------------------------------------------------
● クリントン、ジュリアーニのリード変わらず

-----------------------------------------------------------------------

 ABCニュースとウオール・ストリート・ジャーナル紙が11月7日に発表した世論調査によれば、民主党ではクリントン上院議員が下記のようにオバマ上院議員との差を広げ、党の大統領候補の指名獲得に向けて独走態勢に入った。



 「民主党」  今回(11月7日)   前回(9月7日)
        クリントン 47%   44%
        オバマ   25%   23%
        エドワーズ 11%   16%  



 共和党はジュリアーニ前ニューヨーク市長が依然リード。前回調査では、トンプソン元上院議員が共和党保守派の期待を担って急浮上したが、その後、選対幹部がコカイン密売事件で保護観察中とわかるなど、不祥事がたたって支持が急落した。



 「共和党」   今回(11月7日)   前回(9月7日)
         ジュリアーニ 33%  32%
         マケイン   16%  14%
         トンプソン  15%  26%



 来年11月の本選挙で、民主党クリントン、共和党ジュリアーニの両候補が対決した場合、支持率は下記のようになる。クリントン候補が支持を落としたのに対し、ジュリアーニ候補が追い上げ、ほぼ互角の接戦となっている。



 「本選挙」   今回(11月7日)   前回(9月7日)
         クリントン  46%  49%
         ジュリアーニ 45%  42%



-----------------------------------------------------------------------
● クリントンは来年2月5日に党候補の指名確定か

-----------------------------------------------------------------------

 本選挙の投票日は来年11月4日だが、党候補を決める予備選挙と党員集会は1月3日から、アイオワ州の党員集会を皮切りに6月まで続く。山場は2月5日の火曜日。大量の代議員を抱えるカリフォルニア州やニューヨーク州など20州余りがこの日に党員集会や予備選挙を実施、選出される代議員の数が過半数を超えてくる。民主党の場合、この時点で、クリントン上院議員が党候補指名に必要な代議員獲得の目処をつけるとの見方が強い。

 民主党の代議員は2182人、このうち一般代議員1868人を党員集会と予備選挙で選出するが、残りの314人はスーパー代議員と呼ばれ、同党の連邦議会議員と知事が就任する。クリントン議員はこのスーパー代議員69人の支持をすでに確保した。オバマ議員の25人、エドワーズ元議員の15人に較べ、この面でも圧倒的にリードしている。スーパー代議員は各州の地元政界に影響力を持つ有力者、その支持を確保することは今後の展開に有利なのは間違いない。

 一方、共和党のジュリアーニ前市長も共和党保守派を支えるキリスト教福音派に支持を拡大した。11月2日のニューズウイーク(電子版)によれば、同派の23%が最近ジュリアーニ支持にまわり、マケイン支持17%やトンプソン支持15%を超えた。また、同派の有力指導者ロバートソン師も最近ジュリアーニ支持を表明した。同派は、ジュリアーニ前市長の妊娠中絶や同性愛者の権利を容認する姿勢に反発してきたが、この立場に変化が起きたことを示している。




-----------------------------------------------------------------------
● 本選挙は激しく、汚い、接戦の見通し

-----------------------------------------------------------------------

 現状が大きく変わらなければ、来年11月の本選挙は、民主党クリントン、共和党ジュリアーニという異例の2人が対決することになる。クリントン議員は女性として米国初の党候補。また、ジュリアーニ前市長は共和党で初めて妊娠中絶や同性愛者の権利を認める候補である。ニューヨーク・タイムズは11月4日、「これほど多数の共和党支持者がジュリアーニ前市長のような政治家を支持することは、4年前の大統領選挙では考えられなかった」と伝えた。

 この背景には、米国人の意識の大きな変化がある。ワシントン・ポストは11月4日、世論調査の結果に基づいて、「米国民は現状に悲観的になり、ブッシュ政権が設定した路線から早く脱出したいと願っている」と分析する記事を掲載した。そして、「米国民の75%は、次期大統領がブッシュ大統領の路線とは違う新路線を打ち出すことを期待している」と分析。これは「民主党員の大部分、無党派の75%、共和党員でも50%が願っていることだ」と伝えた。

 この変化を求める動きが、民主党では初の女性候補の誕生を促し、共和党では福音派内のジュリアーニ支持を生んでいる。上記ワシントン・ポストの調査によれば、「米国民の69%は来年はリセッションになる」と予測している。そうなれば、米国民はますます現状からの脱出を願い、大統領候補に期待を託そうとするに違いない。同紙は世論調査と専門家の分析を基にして「全体的な流れは民主党に向いているが、選挙戦は激しく、汚い、紙一重の接戦になるだろう」と予測している。





☆ヒラリー・クリントンの履歴     出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

-----------------------------------------------------------------------

ニューヨーク州選出上院議員
任期: 2001年1月3日 – 2001年1月20日

-----------------------------------------------------------------------

アメリカ合衆国42代ファーストレディ
任期: 1993年1月20日 – 2001年1月20日
元首: ビル・クリントン

-----------------------------------------------------------------------

出生: 1947年10月26日
ワシントンD.C.
政党: 民主党
配偶: ビル・クリントン
ヒラリー・ローダム・クリントン(Hillary Rodham Clinton、1947年10月26日 –)はアメリカ合衆国の政治家、弁護士。ニューヨーク州選出上院議員(民主党)。2008年の大統領選挙に立候補している。第42代アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンは夫であり、1993年から2001年までアメリカのファーストレディーだった。なお Rodham は日本では「ロダム」と表記されることが多いが、英語の発音は長母音の「ローダム」である。




●生い立ちと教育

ヒラリー・ダイアン・ローダム (Hillary Diane Rodham) は1947年、イリノイ州シカゴに衣料品店を営む両親のもとに生まれた。一家はメソジスト宗派であり、彼女は白人中産階級が多く住むイリノイ州パークリッジで成長する。父親のヒュー・ローダムは保守主義者であり、繊維業界の大物であった。母親のドロシーは専業主婦であり、ドロシーの両親はドロシーが幼い頃離婚、ドロシーは父方の両親に預けられ寂しい子供時代を過ごした。ヒラリーには二人の兄弟、ヒューとトニーがいる。

ヒラリーは幼少時からスポーツに興味を持ち、テニスやスケート、バレーボールなどを楽しんだ。また早くから政治に興味を持ち、Young Republicanとして活動、1964年の大統領選では共和党のバリー・ゴールドウォーター候補を応援するゴールドウォーターガールを務めた。

メイン西高校を卒業後、1965年にマサチューセッツ州の名門女子大であるウェルズリー大学に入学、1年生の時、学内青年共和党の党首に選ばれるが、ベトナム戦争や公民権に関する共和党の政策に疑問を持ち始め、その後辞任。1968年の大統領予備選では、ベトナム介入反対を掲げる民主党のユージーン・マッカーシー候補を支持した。その一方で、同年の夏には首都ワシントンの下院共和党議員総会でインターンを経験、共和党党大会ではニューヨーク州知事ネルソン・ロックフェラーのために働いた。その後ウェルズリー校を優秀な成績で卒業、同大学初の卒業生総代として行ったスピーチが賞賛から非難までさまざまな反響を呼び、地元のテレビ局のインタビューに出演、ライフ誌にも取り上げられた。


● 弁護士時代

保育園の子供たちと談笑するヒラリー1969年、ヒラリーはイェール大学ロースクールに進み、そこでビル・クリントンに出会う。在学中はマリアン・エデルマンが始めた児童擁護のための組織で働き、また法律が子供に与える影響について特に学んだ。1972年の大統領選ではビル・クリントンが参加していた民主党のジョージ・マクガバン大統領候補の選挙運動に加わった。1973年のロースクール卒業後は、エデルマンが新たに始めた児童防衛基金 (Children's Defense Fund) で働いた後、1974年には下院司法委員会によるニクソン大統領の弾劾調査団に参加している。

調査団解散後はビルのいるアーカンソー州に移り、ビルとともにアーカンソー大学ファイエットビル校ロースクールで教鞭を取った。この年ビルがアーカンソー州で下院議員選に出馬するが落選、翌1975年に彼と結婚している。1976年にはビルがアーカンソー州の司法長官に選出されて州都リトルロックへ移るのに伴い、アーカンソー大学での職を辞し、ビンス・フォスターがパートナー (共同経営者) を務めるローズ法律事務所に移った。また同じ年の大統領選では、ビルとともにジミー・カーター民主党候補の選挙戦に参加した。1978年ビルが32歳の若さでアーカンソー州知事に当選するとアーカンソー州のファーストレディーとなったが、弁護士としての活動も続け、1979年にはローズ法律事務所の女性初のパートナーとなった。その一方で、アーカンソー州における質の高いヘルスケアの普及を目的とした地方健康諮問委員会 (Rural Health Advisory Committee) の議長を務めるとともに、児童防衛基金の活動にも参加。またカーター大統領の指名により、連邦議会が設立した非営利団体の司法事業推進公社 (Legal Service Corporation) の理事を務めた。

1980年ヒラリーは娘のチェルシーを出産。ビルは再選をかけた同年の知事選に破れるが (当時のアーカンソー州知事の任期は2年)、次の1982年の知事選で当選してカムバックした。この82年の選挙戦を機に、ヒラリーは結婚後も引き続き使っていた「ヒラリー・ローダム」を「ヒラリー・ローダム・クリントン」に替えている。

この第二期目のクリントン知事のもとで、ヒラリーはアーカンソー州の教育制度改革を目的とした教育水準委員会 (Education Standards Committee) の委員長を務めた。


ビルの大統領選挙運動中、新しいイメージで登場したヒラリー。ソフトなボブカットが話題になった。1991年にビルは大統領選に出馬。その選挙運動中、ヒラリーが「家にいてクッキーを焼いてお茶を入れることもできたが、自分の職業を全うすることを選んだ」とコメントしたことで、一部から「専業主婦に対して冷淡」とか「急進的フェミニスト」などという批判を浴びることになった。こうした批判は選挙運動中収まることはなく、ヒラリーはその対応に苦慮した。この頃、法律事務所やウォールマートの社外取締役、児童防衛基金の会長などの職を次々に辞している。

同年秋、ビルとクラブ歌手ジェニファー・フラワーズの不倫問題が表沙汰になり、この両者の間で交わされた電話の会話の一部を録音したテープがマスコミに流出すると、それまで選挙戦を優勢に戦っていたビルの支持率が急落した。これを受けて、ビルとヒラリーは危険を覚悟で報道番組『60 Minutes』に出演、ここでビルは素直に非を認め、ヒラリーはそうしたビルを一方的に弁護、この一件は「過去のこと」と自信を持って言い切った。このインタビューが1992年1月、全米一の視聴率を誇るスーパーボウル生中継の直後に放送されると、これを好感した世論はクリントン夫妻擁護に傾き、「ヒラリーはこれまでの大統領候補夫人とはまったく違った存在」という認識が一般に広まることとなった。ビルはその後各州における予備選を優位に勝ち進み、同年8月に民主党の大統領候補指名を受け、11月の大統領選では現職のブッシュ大統領を破って当選した。


● ファーストレディー

連邦議会議事堂での大統領就任宣誓式の後、ホワイトハウスヘ向かうパレードの途中、車から降りて歩きはじめるクリントン一家 (1993年1月20日)
歴代ファーストレディー公式肖像画 (ホワイトハウス所蔵)ビルが大統領に当選すると、ヒラリーは翌1993年から8年間、アメリカ合衆国のファーストレディーとなった。ヒラリーはアメリカでは初の院卒のファーストレディーであり、初の弁護士のファーストレディーであり、したがって初のキャリアウーマンのファーストレディーである。そのため当時アメリカではヒラリーのことを、かつて国連代表を務めたエレノア・ルーズベルトと並ぶ「最強のファーストレディー」と評していた。

就任後早々、ビルはヒラリーを医療保険改革問題特別専門委員会 (Task Force on National Health Care Reform) の委員長に任命した。同委員会は、国主導型の健康保険制度導入を視野に入れた「クリントン医療保険計画」を答申したが (アメリカには日本の国民健康保険制度のような制度がない)、アメリカ医療保険制度の抜本的改革となりかねないこの計画は、保険会社や製薬会社、中小企業などによる大規模な反対活動にあい、民主党多数議会をもってしても支持を得ることができず、結局翌1994年に廃案となってしまった。これに勢いを得た共和党は、クリントン政権の政策を「急進的なリベラル改革」と位置づけて攻撃、同年の中間選挙では大幅に議席を伸ばして両院で多数となり、行政府と立法府のねじれ現象が生じることになった。

後にヒラリーは著書の中で、医療保険改革の失敗は「すべて自分の政治力が未熟であったせい」だと記している。一方当時の政治評論家は一様にこの失敗が「ファーストレディーを国政に参画させるという前代未聞の人事が国民には不適切だと受け止められたということに他ならない」と評した。しかし、1996年の著作It Takes a Village and Other Lessons Children Teach Us はベストセラー本となりヒラリーの子供を中心とした政策課題は過半数の女性には好感を持って迎えられ、また大多数のアメリカ国民は「国主導型の健康保険制度導入ということ自体がアメリカにとっては時期尚早だった」と見ていたことが世論調査などで明らかになっている。

いずれにしても、大統領選挙キャンペーンでビルがヒラリーとのコンビを「ひとつ分のお値段で、ふたつ分のお買い得 ("get two for the price of one")」と言っていたように、ビルがヒラリーを「最大のアドバイザー」と評して全幅の信頼を置いていたのは事実であり、ヒラリーはその後もクリントン政権を通じて閣議に臨席するという特別な存在であった (これはケネディ大統領が信頼する実弟のロバート・ケネディを司法長官に任命して常に傍らにおいた例を踏襲したものだといわれる)。

こうした立場のヒラリーは彼女に批判的な人々から「共同大統領 (co-President)」や「ビラリー (Billary)」と呼ばれた。またヒラリーは、イーストウィングにあるファーストレディーとしてのオフィスとは別に、大統領執務室や閣議室のあるウェストウィングにも異例のオフィスを構えたが、そうした彼女のスタッフたちを、ヒラリー自身も含めて周囲は「ヒラリーランド (Hillaryland)」と呼んだ。

医療保険改革や中間選挙での敗北と逆風が続いたヒラリーだったが、中国政府の人権侵害に反対する人権擁護団体や一部の議員が出席に反対する中、1995年9月北京で開催された国連世界女性会議に米国代表団の名誉団長として出席、演説の中で「女性の権利とは人権である」と訴えた。1996年1月には初の著書となる『村中みんなで (It Takes A Village)』を出版した。

同じ頃、ホワイトウォーター疑惑関連で、紛失したとされていたローズ法律事務所時代のヒラリーによるマディソン・ギャランティ貯蓄貸付組合のための法律業務の記録がホワイトハウスで突然見つかった。1月26日ヒラリーはスター独立検察官の召喚により、紛失したとされていた記録について大陪審の前で証言を行った。


● 上院議員時代

2001年1月4日、上院議員として初登院し宣誓式に臨むヒラリー。左は夫のクリントン大統領と娘のチェルシー、右はゴア副大統領 (上院議長)。2000年、長年ニューヨーク州選出上院議員を務めた民主党のダニエル・パトリック・モイナハンが引退を表明すると、ニューヨーク市市長で共和党のルドルフ・ジュリアーニが出馬を表明した。ジュリアーニ市長の高い支持率を危惧した民主党は、冷めることないクリントン人気に期待をかけ、ヒラリーに白羽の矢を立てた。選挙区の住民でもなく、しかもファーストレディーの国政選挙出馬は前代未聞で、現職市長相手の選挙は接戦が予想されたが、ジュリアーニが前立腺癌治療のため出馬を取り止めると、共和党の後継候補ラヅィオ下院議員では勝負にならず、ヒラリーは得票率で55%を得て当選した (なおこの出馬も1964年にマサチューセッツ州出身のロバート・ケネディ司法長官が民主党に乞われて上院選にニューヨーク州から出馬し当選した例を踏襲したものだいわれる)。

ファーストレディー時代は左派色が強く、夫のセックススキャンダルについて「右派の陰謀」とまで言いきったこともあるが、上院議員になると世論に同調した柔軟性も見せるようになり、政治家としての成長がみられるようになった。

一貫して青少年の保護を主張し、“Grand Theft Auto” シリーズなどの暴力的な内容のコンピュータゲームに登場するセックスシーンなどを問題視して、未成年者に対するこれらの販売を禁止する法律の制定に積極的な立場をとっているが、こうした姿勢はゲーム業界や徹底した表現の自由を主張する勢力からは批判されている。

再選をかけた2006年の上院選では、共和党候補に得票率で67%対31%という大差をつけて勝利した (このため「ヒラリー当確」は全米一早く出た)。この圧倒的な再選をうけ、かねてより噂になっていたヒラリーの2008年大統領選への出馬は現実の選択肢として取沙汰されるようになった。また選挙後ビルが複数のインタビューで「ヒラリーが大統領選に出馬するかしないかは分らないが、ヒラリーが大統領になったとしたら素晴らしい大統領になることは間違いない」と彼女の出馬を言外に臭わせたことから、ヒラリー出馬説は一層真実味を帯びるようになった。なお、共和党サイドでもジュリアーニ元市長の大統領選への出馬が有力視されており、2006年秋の世論調査ではヒラリーと対抗できるだけの支持率を持った唯一の人物となっているため、因縁のマッチが再現かと多くからの注目を集めている。

月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文